錦城古流について
錦城古流のなりたち と 花型
錦城古流の歴史
古流のいけばなは、江戸時代の中期 明和年間(1764~1772)の頃に、今井一志軒宗普を始祖として誕生しました
その後、中興の祖といわれる松盛斉関本理遊により花形の規矩が定められ、また次々と出版物を出すことによって古流の普及に努め、文化文政年間(1804~1830)を中心に全国に広まりました
門人の多くは江戸および近郊の居住者でしたが、その他の地方にも複数の古流人がおり、特に北陸では全体の35%を占めていました
このため、古流は関東系と北陸系に分かれて発展してきました
錦城古流は、加賀藩 加賀国大聖寺中町に、初代松野源之丞より七代目に当たる理鶴が、従来の古流の型に飽き足らず工夫を凝らし、お仕えしていた前田家より「錦城」の名を拝命し錦城古流と名を改め源流としました
‐伝承の花型 traditional style
かきつばた 「一株一花」
伝承の花型 Traditional Style
*生花 ~Seika Style~
「月の輪 半月 草の型」
投げ入れ ~Nageire Style~
「投げ入れ」